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中村中『友達の詩』の意味を考察してみる

中村中 友達の詩の意味を考察

Yahoo!トップで久々に見かけた名前。シンガーソングライターの中村中さんのインタビュー記事だ。

中村中さんといえば、かれこれ10年以上は前にシンガーソングライターとしてデビューして、世間に大きなインパクトを与えた人だったよなあ・・・

そう思いながら、15年近くも経っていたことが個人的にとても驚きだった。

公開された記事の内容は賛否というか否寄りなコメントが多い印象だが、すべてを知ることはできないのでここでは言及しないでおく。

ずいぶん時間が経ったけれど、私も当時衝撃を受けた中村中のヒット曲『友達の詩』の意味を独断と偏見で考察してみる。

中村中『友達の詩』の意味を考察してみる

中村さんの生い立ちについて知らない人は個別に調べていただくとして、著作権の都合もあるため、ここでは歌詞を直接記事に書くなんて野暮なことはしない。

あくまでこの作品の歌詞が綴られた経緯や背景を私の個人の考察した所感に過ぎないのでそこのところをあらかじめご理解いただきたい。

楽曲が書かれた当時の中村中の年齢

『友達の詩』がリリースされたのは2006年9月。

1985年6月28日生まれだから2021年現在、というかまさに今日が誕生日を迎えて36歳になったところ。思っていたより若くて驚いた。

ということは、友達の詩がリリースされた2006年当時、20歳そこそこだったということになる。

楽曲が制作された背景

個人的な生い立ちの部分はもちろん大きく影響しているとして、この楽曲がリリースされたのは中村さんが20歳そこそこの時期。

Wikipediaによると活動は2004年からということで、さかのぼると18歳前後でほぼ初めて書いた作品だったのではないだろうか。

東京都墨田区出身、高校の同級生か同世代の誰かに恋心を抱きながらも、その生い立ちから所詮叶うはずもない恋、と諦めにも似た想いを綴った歌詞。

前情報ゼロで目を通せば、ただの失恋ソングか禁じられた大人の男女の恋物語にも見えかねないけれど、なぜかそれだけとも思えない世界観と説明のつかない声色が人々に何かを感じさせていた。

歌詞とメロディーに漂う微妙なレトロ感

今回の記事を機に10数年ぶりに聴いた『友達の詩』。作品が世に出たころとはまた違う印象がけっこうあった。

その細かい部分については専門的になるのでこのブログでは書かないけれど、思いのほかメロディーはレトロ感がある感じだったんだなと思った。

どこか昭和的な哀愁が漂うというか、ちまたによくあるただ叶わぬ恋を歌った”せつな系”の旋律ではなくそこはかとない哀愁が滲む。

ただしそれは昭和歌謡の時代に切り取られ描かれた、成熟した大人の男女のそれともまた違う。

中村中という人の生い立ち、またそれとは無関係な10代後半の蒼さのようなものが絶妙なちぐはぐ感というか、アンバランスさを醸したのかもしれない。

中村中の声にある違和感

このことに気づいている人は一般の人にはほとんどいないかもしれないが、中村さんの歌声の半分以上はファルセット(裏声)だ。

これについてもここで深くは言及しないけれども、通常耳慣れた音感とはズレがあって、そこにある種の違和感を無意識に覚えた人は少なくなかったかもしれない。

大半のリスナーは『友達の詩』を聴いてなんとなく「切なくていい雰囲気の曲だなぁ・・・」と思っていたのではないかと思う。

世間が衝撃を受けたのは無意識にあった不思議な違和感のようなものが、その後のカミングアウトによって腑に落ちたからかもしれない。少なくとも私はそうだった。

友達の詩の歌詞に込められた心情

以前、中村さんと似た境遇の知人が言っていた。「生まれかわったら、好きな人と手をつないで歩きたい」と。

そんな当たり前にも思えることが当たり前にできない現実があることを知った。

ただの憧れで追いかけることすらできない、当たり前に傷つくことすらできない諦めや悲しみをまだ20歳にも満たない10代の若者が綴った言葉と旋律。

その思いのすべてを理解することはできないけれど、若干20歳そこそこシンガーソングライターが放ったこの曲と歌に心ふるえた人は多かったと思う。

中村中『友達の詩』の意味を考察してみる まとめ

簡単な言葉では言い尽くせないさまざまな経験や思いをきっと、重ねてきたことだろう。

でもそれと同じかそれ以上に、知らぬ間に得ていたことや他者に与えていたことがたくさんあったはず。

それを心から腑に落ちた時、中村中という人がどんなふうに変わるのかを見てみたい思う。